昭和55年6月26日 朝の御理解 ●②、⑦、① 【入力者:梶原佳行】

御理解第1節 「今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ」



 昨日は、婦人会と幹部研修会がございましたから、昨日一昨日久原教会で本部から教官が見えられまして、そして、えー百年祭を目指す、まぁ布教方針といったようなものが色々、まぁ研究されて、その結果を、まぁ報告をなさり、その為に教団全体が一丸となってその方途に基づいて信心を進めて行こうというお話だったらしいんです。
 ここから秋永先生、それから高橋さん、それから若先生と栄四郎とまいりました。えーもうあんなに明細に記録をしてあるならもうお話しを頂きにいかんでも、かえってよくわかるように高橋さんが、それこそあの、ずっとメモしてきとられますのを、皆で聞かせてもらいました。
 私はもう本当に、もう教官がおやめになるはずだったのですけど、また今度続けてなさることになったそうですが。本当に教官も大変であろうなぁと思います。例えば、色々にいわゆる金光教が本当に発展するための、新しい生き方というものをずっとこう聞かせて頂きましたけれども、まぁ私が聞いておってどの人とても、本当にいうなら今日の御理解で頂くと、今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませれえるようなことが一つもないのです。
 それでも、なら偉い先生方がよりよりよって、今後の金光教はこうあらなければならない、こうありたい。皆が足並みを揃えなきゃならないというように、いうてあるけれども、その一言とても、なら絶対というものがないのです。
 ここでは絶対という言葉よく使いますね。合楽理念は助かりの絶対の理念だとこういってますでしょう。その絶対というのがないのです。まぁいうならば手探りの信心です。ね、暗中模索なんです。ね、今までではいけなかったからこういう生き方になったならどうだろうかというのです。そして、なら私が聞いておって、どの一言を聞いても、あっそれならいよいよ教団が発展して行くだろうと思われるものがなかったと。
 それでもそれは、人知の限りを、頭のいうなら頭脳の先生方が集められて、まぁ決められたことなのですけれども、それならば、いうなら何というでしょうかね、えー、新たな教団の発展のもとになるのだろうというのがない、ただ一番最後のところに、とにかく神様を身近に頂かなければならない。感じなければならない。いうなら神様と何時も共にあるという実感を頂く為の手立てを講じたいといったようなことがございます。
 だから、ならそこに神様を感じ、そこに神様を身近に感じれれるような手立て、それが合楽理念なのです。本当か嘘か分からんけれども、嘘でも良い、それを聞かせて頂いて、私は毎日そのことを神様にお礼もうさせて頂いておるんですけれども。
 先だって佐賀の吉富さんが東京に行かれる、んお願いをしてやらせて頂いたにも関わらず、あちらからの汽車が1時間も送れて、その予定の新幹線にのれなかった。これもまぁ神様のご都合じゃろうと思うて、駅員にそのことを話したら、その切符で次のあれに乗ってくださいというから乗らせてもらった。
 なんていうご都合があるだろうと思うて、あのいたしておりましたら、丁度食堂( ? )に入っておりましたら、そのとことこ入って見えるのが、ここで、のブラジルから来とりました釜田さんだったかね。がとことこ入って来。
 いやあんた釜田先生じゃないですかというわけで。んー、まぁこれは釜田さんの話しなんです。第一本部で教師の資格でもよかれば、あのあわよくばというかね、まぁ頂くつもりで見えられたんですけれども、本部に、でがっかりし、小倉でがっかりし、甘木でがっかりし、それから自分の手続きの教会なんか、小野田かどっかあっちの教会でがっかりして、もうただ、今度こちらへ来たのは合楽で信心を頂いたということだけが、まぁお土産だという意味のことを、まぁ吉富さんに話されたということです。
 私は御本部へ、本部へ、教庁へいってから申しましたて。ね、本当に布教、布教と一生懸命いうておられるけれども、どういう訳合楽の生き方を本部で取り入れなさるのですかちいうたら、来年からそうなるよと、ある偉い先生が仰ったとこういうことなんです。ね、だからそれはどこまであの本当なことは分かりません。ね、本部でがっかりするということもおかしいし、小倉やら甘木やらてああいう大変な大きな教会にいってがっかりすることも、こちらの頂きようが悪いからだという風に思いますけれども、ね。
 ただそこにあの、合楽の信者がおったから合楽の信者に対して、まぁお世辞的に言われたのかも分かりません。もう合楽だけ、合楽であのいうならば信心を頂いてかえっておるのがお土産だと、もう今日羽田を立つんだという話しを聞かせて頂いた話しを吉富さんがなさっておられました。
 なら本部がです、やはりまぁ評判の悪い合楽のことですけれども、どうしてあれだけのことが出来ていくのか、どうしてあれだけ年々歳々人が育って行くのか。まぁここで人が育つということは、信者が育つということだけではなくて、お道の取次をする先生方が育って行くか。しかも若い人達が多いということはね、それこそまぁ金光教始まって前代未聞ではなかろうかと。
 ね、百名近くの学院生がおりますなかに、ほとんどが教会指定である。それがでもない、いうなら高校を出た、大学を出たばっかりの若い人達が、ね、お道の教師を志すというような、ということはどういうところから起こって来るのであろうかと。と例えば着眼せずにはおれないことに、段々なってくるのじゃないだろうかと。そしてそのもとは、どこにあるかというと、ね、いうならば合楽の今、御比礼であります。ね、生き生きとした働きが起こっておるということであります。
 昨日箱崎教会の佐田先生のお母さんがお参りなりました。昨日お参りするあれはなかったけれども、えー、色々神様にお知らせを頂いて、それをわかる、分からせて頂きたいからというて昨日お参りになっとります、そのお知らせの中にです、佐田先生達兄弟が、ん、●②親教会である博多教会の津村先生に大きな機械が沢山すわっておる。その機械の説明をしておられる。
 この機械はこう使わなければなりません。この機械はここをボタン一つ押すと、これが発動します。これはどういう働きをする。これこういう働きをするといったような、まぁことではなかったでしょうか。その親教会の教会長先生に佐田兄弟が二人で一生懸命説明をしておるということであった。
 ね、いうならば今合楽に起きておるところの、天地のご発動。ね、いわゆるあのモーター、発動機です。ね、ボタンを一つ、あ、ダッダッダッダっとこう起こるように、ね、合楽で押すと、合楽理念のボタンというのは、そういう様々な働きをこれをおしゃ精米機が動く、これを押せば製材が出来る。これをすりゃ、風が送られる。これをすりゃ冷房が出来、暖房が出来るともう自由自在なのである。●
 ●⑦ね、その説明を、まぁ一生懸命佐田兄弟が親教会の津村先生に、この頃から津村先生から、青年会の教師の会合で案内が来たから行きました。それで合楽の話しをしたり、合楽の新聞やらを持っていきましたら、佐田さんあんたこの頃ちった狂信になっとりゃせんのちいわっしゃったち。信心気違いちうわけです。
 なんか合楽の信心が、狂信的なもののような考え方をされておる向きがやっぱあるようです。ね。いうならば生き生きとした、打てば響くようなおかげを、いうなら奇跡的なおかげをね、狂信というように決めつけるような感じが教団全体のなかにあるのです。ね、そしてなら、これが本当だ。これが本当だろうと思うということを幾らなら昨日、御取次成就信心生活運動ちゅうのが三十何年かていわれましたね、高橋さん。続けられて、高橋さん。(31年になります)31年経つ。
 それで、百年祭が終わったら、もうその運動は終わるということですけれども、こげな素晴らしい運動はないですね、大体は。もう金光教でなからなければ言えない表現の運動です。御取次が成就する。ね、教祖金光大神の御取次が天地金乃神様よりのご依頼を受けられての働きというものが、全世界に広がって行く。いうならば、合楽でいうところの、和賀心時代を世界に、13日を世界にということなんです。
 ね、その運動なんです。それを最近それに真の字をつけて、御取次成就信心生活運動と、真御取次という、運動ということに、まぁなったわけですけれども、ね、その実が一つも上がらない。そこで手段です、手立てです。様々ないうに、ねりになられてから、いうならば、金光教的な助かりといえばこういうことではなかろうかという、いうならば発表があり、それに皆が足並みを揃えてやってくれとこういうお話しだったそうです。教官の話し。●
 それで私はそれを、一通り聞かせて頂いて、まぁ本当に大変なことだなぁ教官も、そういうことを土台にして、これからなら布教のことを、に当たっておいでらなきゃならんのですから、まぁ大変なことだと。最後にいわれるところの、生きた神様を身近に頂くという、ならそういう神様を身近に頂くことの為には、このボタン一つおしゃ感じれれるんだよと。佐田兄弟二人おったら、その説明が出来るんだ。ね。
 人が助かるということはこういうことなんだ。というようなことをです、分からせて頂くということが、今天地の開ける音を聞くということではなかろうかと思います。ところがその、いうならば天地の開ける音があまりにも、ものすごい。あまりにも大きい。いうならここの、地球の回転音というものは、もうそりゃものすごいものだそうです。そのなかにありますから、その音が聞こえない。
 心を絞ってみる。ね、そして、そこから開けて来る音をじっと小さくして聞かなければ聞こえない。ね、昨日も私、その佐田先生に申し上げましたことでしたけれども、とにかくお道の取次者としてはですね、最近いわれる、まず神も喜び金光大神も喜び、ね、親が喜ぶといったようなことをこの頃いう、申しておりますが。ね、または氏子もの喜びという風に言いますけれども。
 昨日私は佐田先生には、ね、神も喜び金光大神も喜び、御霊も喜び信者も喜ぶというような、お取次ぎができなければいけません。教会のことやら、自分のことやらの喜びなんかはもうあてにせんでん、神様は下さるものだからいらん。ね、神も喜び金光大神も喜び、御霊も喜び信者も喜ぶという取次の先生にならなきゃいけません。ね。
 その為には、こういう精進があるぞ。こういう生き方があるぞ、と合楽では説かれておるわけですから。それを本当に実験し、実証しなければ話を聞いただけでそうかなと思うただけじゃなくて、天地の開けるということはです、ね、それこそ、ね、世が開けたようにというでしょう。心の中が開けてくる時。真っ暗い思いをして、暗中模索をしておりましたけれども、合楽でお話を頂いた途端に、私の心が開けて来た。それこそ世が開けたように、思いますとこういう。
 ね、それが私は天地が開けたということになる。ね、天地の開ける音を聞いて目を覚ませと仰せられる、そういう意味においてのね、あの心が皆さん開けておるだろうか。不思議に心が開けて参りますと、それが有り難い、いうなら実験ともなり、それが実証ともなってまいりますから、ね、有り難いいうならばおかげの世界にすむことが出来るんです。
 ね、皆さんでもこうやって聞いて下さって、お話を聞いて下さってです、ね、いわば天地の開ける音を、心にいうなら響いてくるものを受けとめて、ね、それこそ目が覚めたようにある。ね、世が開けたような思いだという、その信心をいよいよ続けていかなければいけません。
 ね、合楽理念は、ね、いうならその、天地が発動まします。ね、どういう部門どういう部類のところには、こういうボタンがある。こういうスイッチがここにあるんだよということ。この機械が故障したら、ね、幾らボタンを押してもダメだよと。それん時にはここをこうして修繕をしなきゃならないここんところを、という風にですね、機械のいうならば説明をここで受けておるようなものですから、そのボタンを押さずして、別なところばっかりおしとったっちゃ、けして発動が起こるはずありません。
 ね、スイッチの押しところを心聞いておるのですから。そこをやはり押させて頂いて、今まで、夢にも思わなかったような働きとも、おかげともなって来るんです。ね、教団全体の上のことをいうても、本当に人力の限りを今尽くしておられるように思います。そこで、その人力の限りを尽くして、これでもやっぱりいけなかったと。と気付かれて、そして、新たな本当ないうならばボタンというのはどこにあるかということを、合楽理念に求めらえるようになったら、教団全体がもうそれこそ囂囂たる音響のもとにです、ね、その大きな機械がみんな、いっしょにこう、ね、発動を始めることでしょう。
 ね、人力の、限りを尽くしてみて、ね、そこに人力を一遍振り捨てて、ね、神力にすがる。ね、そこから湧いてくる人力。ね、その人力でなからなければなりません。ただ神乍らというて、腕くま抜いておるということだけではいけません。
 ね、●①人力にみきりをつけて神力に、すがれ人力このずから湧く。自ずから湧いてくるその人力によるところの布教体制というものがとられなければ出来ない。まずためには、天地の開けるおとをです。耳をすまして聞かなければならんということになりますですね。どうぞ。●